ユーバリンゲン空中衝突事故で殺人!管制官を刺殺か?遺体の状況は?

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ユーバリンゲン空中衝突事故 画像
   

2002年7月1日に起きた「ユーバリンゲン空中衝突事故」が、5月23日の奇跡体験!アンビリバボーで放送されます。

「ユーバリンゲン空中衝突事故」は、ロシアのバシキール航空2937便と、米国の貨物機・DHL611便がドイツのユーバリンゲン上空で衝突。

両機に搭乗していた71人全員が死亡するという、最悪の民間航空機事故となりました。

また、この事故において、遺族が管制官を刺殺する殺人事件も起こっています。

そこで今回は、「ユーバリンゲン空中衝突事故」の原因や、管制官を刺殺して逮捕された、殺人犯のヴィタリー・カロエフについて振り返っていこうと思います。

ユーバリンゲン空中衝突事故の原因

ユーバリンゲン空中衝突事故の原因ですが、まず、どちらの機体にも最新の衝突防止装置が設置されていました。

それなのに、なぜ、同じ時刻、同じ地点に遭遇し、衝突したのでしょうか。

事故調査員が調べたところ、両機の衝突防止装置は正常で、設定通りに起動していたことがわかっています。

衝突防止装置を搭載している機体は、互いにある周波数で交信。

万が一接近しすぎると、衝突防止装置が警告を発するようにできているのです。

さらに、必要性を感知すると、回避指示を出します。

そして、事故調査員が両機に搭載されていた衝突防止装置を解析した結果、警告を発して、バシキール航空2937便には、上昇回避。

DHL611便には、降下回避の指示を出していたことが判明したのです。

なので、もしも、両機が衝突防止装置の指示通りに従っていれば、事故は起きなかったはず。

ところが、実際は、DHL611便は衝突防止装置の指示に従い、バシキール航空2937便は指示に従いませんでした。

バシキール航空2937便は衝突防止装置の指示ではなく、管制官の指示に従って降下させたため、衝突したのです。

結局、このように衝突事故の原因が判明したわけですが、ここで1つ疑問が生じます。

なぜ、DHL611便は衝突防止装置の指示に従い、バシキール航空2937便は衝突防止装置よりも、管制官の指示に従ったのか。

その真相は、フライトマニュアルにあったのです。

ヨーロッパのフライトマニュアルは、管制官よりも、衝突防止装置の指示を優先するように書かれています。

そのため、DHL611便は衝突防止装置の指示通り、降下回避させたのです。

一方、ロシアのフライトマニュアルは、ヨーロッパの逆で、衝突防止装置よりも、管制官を優先。

バシキール航空2937便が降下させたのは、そういった理由だったのです。

管制官を刺殺する殺人事件が発生

ユーバリンゲン空中衝突事故の原因として、もう一つ挙げられるのは、管制官の指示が遅れたことです。

本来なら、もっと早くに指示を出していなければいけないのに、管制官が指示を出したのは衝突の43秒前だったのです。

なお、衝突の瞬間、管制官は1人でした。

管制を請け負っていた「スカイガイド社」では、常に2名の管制官を置く規定になっています。

ただし、夜勤の場合、当直のうち一人が長い休憩を取ることを、会社が黙認していたのです。

衝突事故は、会社の管理体制にも原因があったことがわかったのでした。

そして、ユーバリンゲン空中衝突事故の後、当日に指示を出していた管制官が、刺殺されるという殺人事件が起きています。

殺人事件の犯人は、事故で妻と息子、娘を亡くしたヴィタリー・カロエフ。

ヴィタリーカロエフ 画像

刺殺されたのは、管制官のピーター・ニールセン氏です。

家族を失ったヴィタリー・カロエフは、2004年2月21日、事故調査団から最終報告が発表されると、復讐のために、管制官のピーター・ニールセン氏が住んでいる、スイスのチューリヒに飛んだのです。

殺人犯のヴィタリー・カロエフは、事故後にスイスで行われた被害者の冥福を祈る会で逆上していた人物。

それ以降も、管制官のピーター・ニールセン氏の身元調査をしていたのです。

一方、衝突の原因となった管制官のピーター・ニールセン氏は、事故後にスカイガイド社を辞めていました。

しかし、2004年2月24日、自宅前でヴィタリー・カロエフに刺殺され死亡。

刺殺後、逃走していたヴィタリー・カロエフでしたが、犯行現場の近くにあるホテルで逮捕されたのです。

また、ヴィタリー・カロエフは逮捕後の聴取で、「ピーター・ニールセンに事故で死んだ家族の写真を見せたが、謝罪せず、目の前で写真を捨てたため、刺した」と供述したのでした。

ユーバリンゲン空中衝突事故 遺体の状況

犯人のヴィタリー・カロエフは、家族が乗った飛行機が空中で衝突事故を起こしたことを知ると、墜落現場に駆けつけました。

他の遺族も、墜落現場に駆けつけるとともに、誰もが自分の家族が飛行機に乗っていなかったことを信じてやみません。

事故による生存者はゼロ。

それでもヴィタリー・カロエフは、家族が生存していることを信じて捜索したのです。

そして、捜索の結果は、その望みを断ち切ります。

畑に横たわる妻の遺体や、アスファルトに打ち付けられた息子の遺体、木がクッションとなって無傷だった、娘の遺体を発見したのです。

その後、ヴィタリー・カロエフは、復讐するために殺人事件を実行し、逮捕されました。

そして、2005年10月26日、裁判で8年の禁固刑を命じられ、チューリヒの刑務所に服役。

ところが、2007年11月12日、検事の抗告が認められ、刑期が5年3月に短縮されたのです。

理由は、犯行当時、心神喪失状態にあり、全行動について責任能力を問うことはできないと、裁判所が判断。

刑期満了前に釈放されたヴィタリー・カロエフは、故郷のロシアに帰ったのでした。

そんなヴィタリー・カロエフの現在は、2008年にロシア・北オセチア共和国の副建設大臣に任命。

2015年に再婚し、翌年の2016年には、政府から「オセチアの栄光へ」というメダルを授与されたのでした。