クリーブランド監禁事件のその後と犯人 アリエルカストロの生い立ちは?

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アリエルカストロ 画像
   

アメリカ・オハイオ州のクリーブランド市で、3人の女性が10年間に及び監禁されていた「クリーブランド監禁事件」が、「ワールド犯罪ミステリー」で放送されました。

クリーブランド監禁事件の犯人は、被害者3人と顔見知りだったスクールバス運転手のアリエルカストロ。

アリエルカストロは、2002年から2013年までの11年間にわたり、3人の女性を監禁し、暴行を加えていたのです。

そんな事件は、監禁されていた女性1人が脱出して、叫び声をあげたのを隣人が聞いたことで発覚。

この事件の焦点となるのは、なぜ11年もの間、被害者たちは逃げ出さなかったのか。

また、3人を監禁していることがなぜ、誰にもバレなかったのかです。

詳しいことは後に説明するとして、とにかくアリエルカストロという犯人が、被害者に向けてやっていたことが鬼畜だったのです。

犯人は、自分の娘の親友を誘拐して監禁したり、逃走できないよう鎖につないで暴行を加えては、流産させての繰り返し。

そこで今回は、被害者の中で1人の子供を出産した、アマンダベリーのその後など、「クリーブランド監禁事件」の概要に迫ってみたいと思います。

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クリーブランド監禁事件の犯人 アリエル カストロの生い立ち

クリーブランド監禁事件の犯人・アリエルカストロの生い立ちは、生まれたのが1960年で、逮捕された当時は52歳。

両親はプエルトリコからアメリカに移民して、9人兄弟の中で育てられました。

1979年に地元・クリーブランドの高校を卒業し、1980年代に結婚。

娘、息子4人の子供に恵まれ、1991年には、地元学区のスクールバス運転手として働き始めたのです。

そして1992年に、12000ドル (当時の価格は約150万円) で自宅を購入。

この自宅は、3人の女性を監禁していたところで、地下室もありました。

また、普段のアリエルカストロは、凶悪事件を起こしたのが信じられないくらいの気さくな男で、評判がよく、友人も多かったといいます。

昼間はスクールバスの運転手として働き、夜は趣味のバンドに費やし、ベーシストとしてクラブなどで活躍。

アリエルカストロの演奏は、地元でも人気だったそうです。

一方で、仕事などが上手くいかないときは、度々妻に暴力を振るうことがあったとか。

そのせいで夫婦生活は破綻し、1993年には、妻への暴力で逮捕されているのです。

その後は、離婚して妻が子供たちを連れて出ていき、アリエルカストロは、自宅で一人暮らしを始めたのでした。

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クリーブランド監禁事件は犯人の娘の親友が被害者に

アリエルカストロに誘拐された、女性3人の当時の年齢は14歳~21歳。

一番初めに誘拐されたのは、2002年8月21日、当時21歳だったミシェルナイトでした。

当時のミシェルナイトは、離婚したばかりで、夫と2歳になる息子の親権争いをしていたといいます。

事件当日、実家の母親の元を訪れていたミシェルナイトは、子供のことで社会福祉士の元へ相談に行くことになっていたのだとか。

その道中に誘拐されることになるのですが、どうやってアリエルカストロは、ミシェルナイトを自宅に連れ込んだのか。

アリエルカストロの手口は、2歳だったミシェルナイトの息子に「子犬をあげる」と言って自宅に連れ込み、そのまま監禁したのです。

2人目の被害者はミシェルナイトの失踪後から、およそ8か月後。

当時17歳だったアマンダベリーが、地元のハンバーガーショップでバイトを終え、帰宅する途中に誘拐されたのです。

アリエルカストロと顔見知りだったアマンダベリーは、事件当日、姉に電話して「車で送ってくれる人がいるから」と伝言を残し、消息不明に。

車で送ってくれる相手というのは、当然犯人のアリエルカストロのことで、姉への電話を最後に行方がわからなくなったのです。

そして、アマンダベリー失踪から1年後に、3人目の女性がアリエルカストロに誘拐されることになります。

被害者の女性は、当時14歳のジーナデヘズース。

ジーナデヘズースは、アリエルカストロの娘・アーリーンと親友で、事件当日は2人が一緒に帰宅する途中でした。

クリーブランド監禁事件 被害者 画像

その後、親友がいなくなって悲しみに暮れた娘のアーリーンが、アリエルカストロの自宅に、訪ねて来ることもあったといいます。

その時すでに、ジーナデヘズースは家の地下室に監禁されていたのですが、分厚いコンクリートの壁に囲まれていたため、助けを求める声も届くことはありませんでした。

被害者3人と顔見知りだったアリエルカストロは、口車に乗せて女性たちを車に乗せ、次々に誘拐。

ただし、最後まで身代金を要求するわけでもなく、11年近く監禁していたのです。

そこで疑問なのは、犯行の動機は一体何だったのか。

言われているのは、妻と離婚して娘や息子とも離れ離れになり、仕事でもミスを連発。

やけになっていたアリエルカストロは、そのストレスから、自分の娘ほどの若い女性を誘拐していったということです。

クリーブランド監禁事件 犯人の洗脳

クリーブランド監禁事件発生後、町では住民たちの協力のもと、捜索が始まりました。

その中には犯人のアリエルカストロも、白々しく捜索に加わっていたのです。

しかし、有力な情報が得られないまま、3人目の被害者・ジーナデヘズースの失踪から半年経つと、住民たちの捜索は徐々に縮小されていったといいます。

そして、捜索から2年が経過し、3年が過ぎても3人の消息は全く掴むことが出来ませんでした。

一方、犯人のアリエルカストロは、その間も、3人の女性に性的暴行を加えていきます。

さらに、被害者たちにテレビニュースを見せ、世間の関心が薄れたことを見せつけ、逃げ出す気力を失わさせていたのです。

これこそが犯人の巧みな洗脳テクニック。

アリエルカストロは、3人に生きていく場所は、ここしかないと思い込ませたのです。

また、アリエルカストロは逃げることができないよう、足に鎖をつないだり、監禁部屋に施錠して閉じ込めていました。

その後、足の鎖が外されることになり、ドアの鍵も開いていたときがあったといいます。

当然、被害女性は逃げ出そうとしますが、それをアリエルカストロは待ち構えていました。

アリエルカストロは、わざと鍵をかけずに3人を試したのです。

仕組んだ罠にまんまとハマった3人は、逃げ出そうとした罰として暴力を受けることに。

以来、逃げ出すことができなくなり、ついに11年近く月日が経ってしまったのです。

クリーブランド監禁事件の被害者 アマンダベリーのその後

被害女性3人は、逃げることを完全に諦めていたのですが、2013年5月6日、ふたたび逃げるチャンスがやってきます。

その日は、犯人のアリエルカストロが11年間の中で唯一、うっかりドアの鍵を締め忘れていたのです。

当初、被害者らは「また罠なのか?」と、逃げるのをちゅうちょしたらしいのですが、「暴力を振るわれても良い、ここで死ぬよりはまし」と思ったといいます。

そして、勇気を振り絞り、アマンダベリーが地下室から飛び出し、SOSを発信。

助けを求める声を隣に住む、チャールズラムジーが聞いて、アマンダベリーを救出したのです。

その後、アマンダベリーからの通報を受けた警察が駆けつけ、残りの2人もすぐに救助され、アリエルカストロを逮捕。

救出された被害者たちはすぐに入院を余儀なくされましたが、数ヶ月後には3人とも元気よく退院。

退院後はというと、3人が人生を取り戻すための基金が作られ、全米から2億円を超す寄付金が集まったといいます。

そして、その後の3人は、報道インタビューに対し、次のように答えています。

最初に誘拐されたミシェルナイト

「地獄を歩いてきましたが笑顔が戻ってきました。皆さんの心遣いに感謝して新しい人生が歩めそうです。ありがとう。」

2番目に誘拐されたアマンダベリー

「私は今 家族や友人と幸せに過ごしています。本当に信じられないことです。みなさんが私のプライバシーを尊重してくれて普通の生活に戻れました。」

最後に誘拐されたカストロの娘・アーリーンの親友・ジーナデヘズース

「皆さんにお礼を言いたいです。ありがとう。そして、基金のお金で大学に行く。」

結局、ミシェルナイトとジーナデヘズースは、最後まで地下に監禁されていました。

アリエルカストロは、アマンダベリーがお気に入りで、最後の方は2階で過ごすことを許していたといいます。

しかも、アマンダベリーだけに子供を産ませてたのです。

事件発覚したとき子供は6歳でした。

また、その後の裁判でアリエルカストロは、誘拐など937件の起訴事実を認め、仮釈放なしの終身刑を宣告されたのです。

ところが、その1か月後の、2013年9月3日、アリエルカストロは、独房で自ら命を絶ってしまったのでした。

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