津川雅彦の娘 誘拐事件 犯人の名前は?東京新聞とSEがヤバかった!

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津川雅彦 娘 画像
   

昨年、心不全で死去した俳優の津川雅彦さん(享年78)と、アルツハイマー型認知症のため、亡くなった女優の朝丘雪路さん(享年82)のエピソードで有名なのは、娘の誘拐事件です。

津川雅彦さんと朝丘雪路さんは、1973年に結婚し、翌年の3月に第一子となる長女・真由子(本名:加藤真由子44)が誕生しました。

その真由子が生後5カ月の1974年8月15日、男に連れ去られる「誘拐事件」が発生したのです。

当時は有名芸能人の娘が誘拐されるという前代未聞の事件に、警察は威信をかけて捜査に乗り出しました。

父親の津川雅彦さんも一時は、娘のことを諦めたそうなのですが、結局、事件発生から41時間ぶりに発見され、無事保護されたのでした。

長女を誘拐した犯人は、千葉県我孫子市のアパートに住み、妻子がいる23歳の男で、最初は俳優・佐川満男、歌手・伊東ゆかり夫妻の長女を誘拐する予定だったそうです。

しかし、住所がわからなかったため、津川夫妻の娘を誘拐することに。

今では考えられませんが、昔は週刊誌等に有名人の住所や電話番号が記載されていたので、簡単に個人情報を得ることができたのです。

そこで今回は、津川雅彦さんの娘 誘拐事件の犯人の名前や、解決に協力した銀行のSE、事件を報じた東京新聞との対立についてまとめてみました。

津川雅彦の娘 誘拐事件

朝丘雪路さんには2人の子供がいます。

1人は、津川雅彦さんと結婚する前に青森県八戸市の内科医師との間にもうけた息子。

もう1人は離婚後、初婚の津川雅彦さんと再婚して授かった娘の真由子です。

その娘が誘拐されたのは、1974年8月15日午前2時半ごろ。

東京・世田谷区にある自宅2階のベビーベッドで眠っていたところを、男に誘拐されたのです。

そこで、当時の事件の経緯を振り返ってみたいと思います。

当時、津川家には、住み込みのお手伝いさんと看護師がいました。

事件があった日も、看護師が長女に数時間おきにミルクを飲ませ、寝かしつけていたそうです。

そうしているうちに看護師もだんだん眠気が襲ってきて、ウトウトし始めます。

そこに犯人の男が風呂場の窓から侵入。

看護師は気配を感じていたものの、最初は着ていた服の印象から、津川雅彦さんと勘違いしていたのです。

しかし、しばらくして目が覚めると、寝ていた長女がいないことに気づきます。

家中を探しても見つからず、戸締まりしたはずの玄関のドアの鍵も開いていたことから、娘が誘拐されたことを確信したのでした。

そして、津川雅彦さんは同日午前3時10分、長女が誘拐されたことを世田谷署に通報。

午前4時1分、犯人の男から身代金を要求する脅迫電話が掛かってきたのです。

このとき犯人は、身代金500万円を要求し、銀行と口座番号を指定して電話を切るのですが、警察は逆探知に成功しませんでした。

しかも、当時は偽名を使って銀行口座を開設することも簡単にできて、犯人がどこのATMから金を引き出したかすぐに判別する方法もなかったのです。

午前11時半、それでも犯人にまず50万円支払うことを決意。

警察は指定銀行「第一勧銀」の支店や、主要駅などにある自動支払機に捜査員を緊急配置させます。

当時、支店は300ヵ所以上、自動支払機は120台あり、犯人がいつ身代金を引き出すかわからない状態。

そのため、警察は第一勧業銀行のシステム管理センターに金を引き出したときにわかるよう交渉していたのです。

翌16日午後0時13分、東京駅丸の内南口の出張所にある第一勧銀のコンピューターが、29万円の引き出しがあったことを表示。

銀行員が直ちに110番通報します。

午後0時19分、警察は現金支払機の近くにいた男を確認し、職質をかけると、所持品から朝丘雪路さんの名刺が出てきたのです。

その後、男を連行。

取り調べを行うのですが、男はなかなか口を割らなかったといいます。

しかし、男には前科があって指紋から住所が判明。

午後7時15分、「赤ん坊(真由子)は女房がみている」と自供したため、逮捕したのでした。

なお、割り出された千葉県我孫子市のアパートに急行すると、そこには妻と1か月の子供がいたといいます。

さらに、「友達の子供だから世話をしてくれ」と頼まれたという赤ちゃん(真由子)もいたのです。

事件発生から41時間後、犯人宅で津川雅彦さんの娘は、無事に保護されたのでした。

津川雅彦の娘 誘拐事件 犯人の名前

津川雅彦さんの娘を誘拐した犯人の動機は、生活費のためだったそうです。

ただ、誘拐犯は顔写真どころか、名前すらマスコミの間で報じられていません。

犯罪を犯して名前が報じられないのには、さまざまな理由があるようですが、23歳という年齢からしても「少年法」とは関係なさそうです。

それに、人質が安全に保護され、犯人が逮捕されて報道協定が解除されたにもかかわらず、名前を報じることはしませんでした。

※報道協定とは、主に身代金目的の誘拐事件やハイジャックなどの立てこもり事件など、人質事件が発生した場合において用いられる。

マスコミは事件に関する報道を一切しない代わりに、警察は入手した情報、捜査の経緯、過程を無協定状態よりもマスメディアに公表しなければならない。

結局、犯人は身代金の要求電話で「ナカムラジュンイチ」という名前を伝えています。

しかし、この名前はとうぜん偽名なので、実名報道されなかった理由はなぜなのかわかりませんでした。

津川雅彦の娘 誘拐事件はSEのお手柄

津川雅彦さんの娘の誘拐事件は、銀行側の協力なくしては解決できませんでした。

とくにお手柄だったのは、SE(インフラエンジニア・Webエンジニア)と呼ばれる技術担当の職員です。

事件があった1974年当時は、システムがまだ完全ではなく、金を引き出してもどこから引き出されたのか、わからなかったのです。

そのプログラムをたった1日で変更したのが、第一勧銀事務センターのSE。

警察の要請により、カードを入れたとたんに店舗番号が印字されるよう、SEが第一勧銀のシステムを変更したのです。

ちなみにSEは、犯人が逮捕された時、「なめんじゃねえよ」とコメント。

犯人もまさか、瞬時に捕まるとは思ってもいなかったのでしょう。

津川雅彦の娘 誘拐事件で東京新聞は「自業自得」と掲載

津川雅彦さんの娘が誘拐された時、刑事らは自宅に泊り込んで捜査にあたりました。

中でも女の刑事なんかは、周りに気づかれないために、お手伝いの格好に変装して自宅に来たそうです。

さらに、津川雅彦さんと朝丘雪路さんに、長女が誘拐されたことを親、親戚にも言わないよう指示して厳重体制を強いたのです。

しかし、情報をどこかしらからかぎつけたマスコミが津川雅彦さんの自宅に集結。

ただ、その際、娘の命を再優先するために、報道協定が結ばれて新聞各紙はこの事件を一切報道しませんでした。

そして、マスコミの協力もあって犯人は逮捕されるのですが、当時の東京新聞は「役者は生まれた子を自分の宣伝のために利用するバカが多いから誘拐される」と紙面に掲載したのです。

「自業自得」と報じられ、さすがに激怒した津川雅彦さんは、東京新聞の編集長に抗議しました。

しかし、東京新聞の編集長は「私は正しい」の一点張りだったそうです。

それ以来、津川雅彦さんは東京新聞のことを根に持ち、報復措置として、東京新聞を読まなくなったとされています。