滋賀銀行9億円横領事件 山県元次のその後と奥村彰子の現在は?

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滋賀銀行9億円横領事件 山県元次の画像
   

1973年10月21日に発覚した「滋賀銀行9億円横領事件」は、日本の銀行で起きた横領事件としては史上最高額。

その後の1975年に発生した「足利銀行横領事件」、1981年の「三和銀行オンライン詐欺事件」と並んで、3大銀行巨額横領事件の1つに挙げられています。

これらの横領事件に共通しているのは、犯行のすべてが女性行員ということ。

「滋賀銀行9億円横領事件」も奥村彰子(おくむらあきこ)という、滋賀銀行山科支店に勤める女子銀行員の犯行でした。

また、横領した金を交際相手に貢いでいたのも、「足利銀行横領事件」と「三和銀行オンライン詐欺事件」に共通しています。

そして、奥村彰子に貢がせていた交際相手ですが、名前は山県元次(やまがたもとじ)という元タクシー運転手でした。

山県元次は奥村彰子をそそのかして金を入手。

受け取った金を競艇などのギャンブルにつぎ込んでいたのです。

そこで今回は、「滋賀銀行9億円横領事件」の犯人・山県元次と奥村彰子のその後や、現在について調査してみました。

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滋賀銀行9億円横領事件

「滋賀銀行9億円横領事件」は当時、滋賀銀行山科支店に勤めていた奥村彰子が、預金係という立場を利用し、6年間、繰り返し銀行から金を持ち出していた事件。

その額はおよそ9億円にのぼります。

また、松本清張の小説「黒革の手帳」や角田光代の小説「紙の月」は、この事件をモデルにした作品と言われ、ドラマ「女の決算」が土曜ワイド劇場で放送されました。

「滋賀銀行9億円横領事件」の犯人・奥村彰子の犯行手口は、顧客から預かった定期預金用の金を入金せずに横領。

銀行には、定期預金、普通預金の払い戻し請求があったように見せかけて、出納係を騙していたのです。

さらに、預金元帳や支払伝票に嘘を記入して5億7000万円を着服。

虚偽の伝票を用いて、テラマシーンを操作したりもしていたそうです。

また、支店長が客から預かった金を入金せずに、交際相手の山県元次の口座へ直接振り込んだりもしていたのだとか。

その額は延べで2億6000万円にのぼり、多いときには1日600万円を、山県元次の口座へ振り込んでいたということです。

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奥村彰子の家族と山県元次との出会い

奥村彰子は1930年12月生まれで、出身は大阪府北河内郡です。

家族は父親が愛人をつくって家を出て行ったため、母親と3人の姉妹で暮らしていたということです。

父親が出て行った後、一家は京都市左京区に移り住み、末っ子の奥村彰子は1948年3月に市立堀川高女を卒業。

その年の1948年12月に滋賀銀行京都支店に入行します。

そして、1965年5月に同銀行の北野支店へ転勤した後、1966年春、問題の山科支店へ行くことになります。

ただ、奥村彰子にとって、山科支店へ転勤する1年前から不幸が始まっていました。

(奥村彰子の画像)
奥村彰子の画像

すでに山県元次のタクシーに乗って、出会っていたのです。

山科支店で働き始めた奥村彰子は、ある日の帰宅途中、偶然バスの中で山県元次と再会。

その後、2人は交際することになるのですが、次第に山県元次が金を無心するようになります。

奥村彰子の方も別れたくない一心から、持っている金を渡していました。

しかし、徐々に持ち金が底をつき、ついに銀行の金に手を付けることになるのです。

結局、6年間、山県元次に巨額の金を貢いでいたのですが、山県元次の方はというと、その間に結婚して子供もいたといいます。

さらに、愛人が2人もいたことを、奥村彰子は知らなかったそうです。

滋賀銀行9億円横領事件の犯人 山県元次の実家や経歴

「滋賀銀行9億円横領事件」の主犯・山県元次は1940年生まれで、七男五女の12人兄弟。

実家は山口県下関市ですが、生まれたのは朝鮮で、父親は警察官をしていたようです。

学歴は、地元・山口県の中学卒業後、豊浦高校に受験するも失敗。

その後、ガラス店に住み込みとして働きながら、定時制の商業高校に通い始めます。

山県元次が競艇をするようになったのは、この頃からですが、一方で歌手になるという夢をもっていたようです。

そのため、鼻を整形して、歌声喫茶で歌うことも。

当時はおしゃれをし、女性にもよくモテたといいます。

そんな山県元次でしたが、結局、歌手になることが出来ずにガラス店を6年勤めた後、独立。

独立後、陶器店を開くも、競艇で負けが込み、店をつぶします。

そこからタクシーの運転手になったということです。

横領金の行方

「滋賀銀行9億円横領事件」で横領した9億円の内、奥村彰子が使ったのは、宝石を買うために使った約2000万円のみ。

残りは、すべて山県元次が使っていたのです。

しかも、ギャンブル好きな山県元次は、競艇に3億円、その他娯楽に7000万円使うという豪遊ぶり。

山県元次が競艇場に姿を現すと、舟券の売上高が大きく上昇し、賭けた買い目のオッズが大きく変動したという逸話も残っているのだとか。

また、競艇場の売上金額を調べれば、山県元次が来場した日の見当がついたということが、後の捜査で判明。

あまりの豪遊ぶりに京都府警は、3億円事件の犯人ではないかと疑っていたそうです。

結局、山県元次は奥村彰子に貢がせた金で、車3台にモーターボート5隻を購入。

競艇や娯楽以外に実兄の金融会社に5000万円、電気器具などに1000万円を使い、山県御殿と呼ばれる豪邸の購入と改築費に6500万円費やしたのでした。

滋賀銀行9億円横領事件 山県元次と奥村彰子を逮捕

奥村彰子が山県元次と再会し、横領に手を染め始めたのは、奥村が35歳で、山県が25歳のときでした。

6年間にわたり、横領を繰り返していた奥村彰子でしたが、1973年2月1日、ついに山科支店から東山支店へ異動を命じられます。

すると、山科支店の帳簿が合わないことが判明。

奥村彰子は山科支店から呼び出しを受けるのですが、逃亡します。

そして、2月18日に山科支店は滋賀県警へ通報。

3日後の21日になって、警察が裁判所に逮捕状を請求し、奥村彰子は全国指名手配されたのでした。

一方、山県元次はというと、愛人と生活していたのですが、10月15日、贓物罪(収受)容疑で逮捕されます。

逮捕後、山県元次の供述から、警察は10月21日、奥村彰子を潜伏先の大阪で逮捕したのです。

なお、逮捕されるまでの奥村彰子は、逃亡先の大阪で整形し、厚化粧をしてバレないようにしていたそうです。

山県元次と奥村彰子のその後

詐欺、横領の最高刑は10年です。

山県元次と奥村彰子の判決について、大津地裁は1976年6月29日、詐欺、横領で奥村に懲役8年と賠償金1000万円。

山県元次に懲役10年と、賠償3000万円の判決を言い渡したのです。

その後の山県元次と奥村彰子は、共に控訴しなかったため、判決は確定。

求刑通り服役を務めることになったのでした。

その後の奥村彰子は仮釈放となり、5年ちょっとで和歌山女子刑務所から出所しています。

また、奥村彰子は刑務所に入ったときから、すでに有名人だったとか。

所内ではおとなしく、おどおどしていたこともあって、いじめの対象になっていたということです。

山県元次と奥村彰子の現在

山県元次が生きていれば現在、79歳、奥村彰子は89歳になります。

1981年6月に仮出所した奥村彰子は、出所後は逃亡先で同棲していた男性と結婚。

この男性は服役中、手紙を書き続け、毎月和歌山まで面会に通い、出所時も迎えに行っていたそうです。

一方、生きていれば現在79歳になる山県元次は、出所後、福岡県北九州市小倉に移住。

しかし、2001年11月21日、再び犯罪に手を染めていたのです。

山県元次が犯した犯罪はパチンコのゴト師。

「滋賀銀行9億円横領事件」当時の愛人と共謀し、大分県別府市内のパチンコ店で不正にパチンコ玉約10300個(約24600円相当)を盗んだ疑いで逮捕されています。

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