吉展ちゃん事件は冤罪?犯人の小原保は創価学会員だった!?

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吉展ちゃんの画像
   

1963年(昭和38年)に、村越吉展(むらこしよしのぶ・4歳)ちゃんが誘拐された事件は、戦後最大の誘拐事件と言われました。

当時は、身代金目的の誘拐事件が少なかったことや、警察のミスもあり、捜査は難航。

そのため、犯人逮捕まで2年3ヶ月の歳月を要したのです。

そして、捜査が難航する中、事件を解決に導いたのが「落としの八兵衛」の異名を取る平塚八兵衛刑事でした。

平塚八兵衛刑事が解決した事件の中には、冤罪が囁かれている事件もあります。

「吉展ちゃん誘拐殺人事件」も冤罪の可能性がなくもないのですが、犯人の小原保(おばらたもつ・32歳)を自供へと追い込んだことで、ひとまず事件は解決したのです。

この事件は、戦後初めての誘拐殺人事件だったことや、事件をきっかけに刑法が新設されたこと。

犯人を取り逃がしたこと(後に起こった狭山事件でも警察は犯人を取り逃がしている)の理由から、50年以上経った今でも語り継がれています。

かつてはテレビで何度も取り上げられたり、泉谷しげるが犯人役でドラマ化されたりしたことでも有名になりました。

また、逆に「吉展ちゃん事件」が悪用されたケースも。

犯人の小原保が「自分は創価学会の信者だ」と語ったことに関係しているのか謎ですが、統一協会が霊感商法で「吉展ちゃん事件」を霊感トークに使用。

被害者・吉展ちゃんの先祖が犯人・小原の先祖の命を奪っており、その因縁で小原が吉展ちゃんの命を奪ったというストーリーを作成し、霊感商法の客に「霊界因縁」を信じさせる材料にしたのです。

ところが、実際はというと、小原の動機は営利目的。

動機が因縁だったことは、統一協会によって作り出された話だったのです。

吉展ちゃん事件の犯人 小原保は冤罪?

「吉展ちゃん事件」は、1963年(昭和38年)3月31日、東京台東区入谷町の村越吉展ちゃん(当時4歳)が、自宅前の入谷南公園に遊びに行った際、何者かに連れ去られた事件。

4月6日、犯人は吉展ちゃんの母親を自宅近くの「品川自動車」に呼び出し、身代金50万円を奪って逃走。

約束では身代金を受け取った後、吉展ちゃんは開放されることになっていたのですが、戻ってくることはありませんでした。

後に分かったことですが、吉展ちゃんは、誘拐されたその日に犯人に殺害されていたのです。

※吉展ちゃん事件の犯人・小原保の写真
吉展ちゃん事件 犯人 小原保の写真

1965年7月、窃盗事件で前橋刑務所に服役中の元時計商、小原保(当時32歳)が、取り調べ中に吉展ちゃん誘拐に関与したことを自供。

小原は吉展ちゃんが誘拐された直後、犯人の疑いがあるとして、5月21日から3週間に渡り、警察で取り調べを受けたものの、逮捕されずに釈放されていたのです。

釈放の理由は、右足に障害を持っているため。

犯人は吉展ちゃんの母親が身代金を置いて、警察が到着するまでの3分間に、金を奪って逃走していたのです。

そのため、足の不自由な小原が、そんな早く金を奪って逃走できるのか?に疑問が残っていました。

その他にも、小原のアリバイが捜査を難航させたのです。

小原は、吉展ちゃんが誘拐された日は、故郷の福島に帰省していたと供述。

警察は小原のアリバイを崩せなかったのです。

そのため、事件から丸2年経って、下谷北署の捜査本部は一旦解散。

ところが、これで捜査を終了したわけではなく、警視庁捜査1課に少数の捜査員を残し、捜査を継続。

そして、ここで「落としの八兵衛」こと、平塚八兵衛刑事に白羽の矢が立ったのです。

(平塚八兵衛の画像)
平塚八兵衛の写真

平塚刑事は警官として交番勤務だったころ、検挙率が警視庁管内でナンバー1になり、その後、本庁に引き抜かれ、捜査1課に配属。

以来、巡査部長、警部補、警部、警視といずれも無試験で昇進した人物。

数々の難事件を解決する優秀な刑事であった、と評価される一方で、担当した三億円事件を迷宮入りさせたのです。

しかも、担当した帝銀事件でも、冤罪の可能性が指摘されるなど、賛否両論あるのです。

その平塚刑事が、犯人の小原のアリバイを崩して自供に至らせたわけですが、この事件にも冤罪説がひそかに囁かれています。

足の不自由な小原が、3分間に身代金を奪って逃走できるかが、1つの大きな焦点になったのでした。

しかし、小原が吉展ちゃんの隠し場所を自供したことで、冤罪説は消滅したのです。

事件解決のカギとなった吉展ちゃんの隠し場所

犯人の小原が自供した通りに、吉展ちゃんは、荒川区南千住・円通寺の墓石の下から発見されたのでした。

現場の検死を行ったのは、元監察医の上野正彦氏で、「発見された吉展ちゃんは、死後変化が激しく個人識別もできないほどだった」と語っています。

さらに、吉展ちゃん口の中から「ネズミモチ」という植物が3本発芽していたのだとか。

ネズミモチはモクセイ科の常緑灌木で、種子が発芽するのに2年かかるという特性があり、犯行時に種子が口の中に入りこんだと推測。

犯人の自供が嘘ではない証明になったのです。

犯人の小原は家族の因縁が動機で創価学会員だった?

「吉展ちゃん事件」の犯人・小原保は、1967年(昭和42)の最高裁で死刑が確定。

そして、1971(昭和46)年12月23日、刑が執行されました。

小原は死刑を執行される直前、看守に「私は今度生まれるときは真人間になって生まれてきます。どうか、平塚さんに伝えてください」と言い残したのは有名。

この最期の言葉は、小原の故郷・福島県石川郡の実家へ平塚刑事が出向いた時、母親が土下座して言った言葉だったのです。

「私は保をそんな人間に育てた覚えはないが、もし保がやっているんなら、早く真人間になって本当のことを言うようにいってやって下だせえ」。

小原が自供したのは、小原の母親がしたように、平塚刑事が取り調べ中、床に土下座して「早く真人間になって本当のことを言え!」と言ったことがきっかけでした。

それから間もなくして、小原は落ちたのだといいます。

そして、この事件は過去に宗教団体「統一協会」の霊感商法に用いられたことで、問題になったことがあるのです。

統一協会による霊感商法裁判で「吉展ちゃん事件」を霊感トークに使っていることを、信者だった被告が認めたのだとか。

犯人の小原が、創価学会員だったことを元に作ったかは不明ですが、この霊感商法「吉展ちゃんトーク」と呼ばれ、20年近く前から使用が伝えられていたもの。

小原の動機は、商売で借金した穴埋めのためでしたが、統一協会は事件を元に、「吉展ちゃんの先祖が犯人の先祖の命を奪い、その因縁で犯人が吉展ちゃんの命を奪った」というストーリーを作成。

霊感商法の客に、「霊界因縁」を信じさせる材料にしてきたということです。