日航機墜落 自衛隊員の射殺とは?生存者 7人は誤報で4人だった!

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日航機墜落事故 画像
   

1985年(昭和60年)8月12日、東京・羽田発大阪・伊丹行きの日本航空123便が、群馬県の御巣鷹山尾根に墜落しました。

乗員、乗客合わせて524名を乗せたJAL123便の「日航機墜落事故」は、520名もの犠牲者を出した史上最悪の航空機事故となったのです。

また、日航機墜落事故は、520名もの犠牲者が出た一方で、重傷を負いながらも命が助かった生存者がいました。

生存者に至っては、当時、墜落現場に向かった自衛隊員が、ヘリコプターを使って救出しているところを、テレビニュースで見た人も多いかと思います。

この事故で生き残ったのは4人の女性。

ただ、当初の報道では、生存者は7人いるとか8人いると混乱していたようです。

そこで今回は、そのときの生存者4人の内の1人、川上慶子さんの現在や、日本航空123便が墜落して救助に向かった自衛隊員が、射殺されたというウワサについても調べてみました。

日航機墜落事故 自衛隊員の射殺報道とは?

日航機墜落事故は、もっと早く現場に救出に向かっていたら、ほかにも助かった人がいたはずだと言われています。

事故直後は、生存者4人以外にも、生きている人たちがいたという証言もあるようです。

しかも、米軍が墜落した場所を特定していたのに、救助せずに突如現場を引き返すという謎の行動もあったのだとか。

このように、あまりにも不可解なことが多い「日航機墜落事故」ですが、ニュース速報に流れたときにも不思議な出来事があったそうです。

私自身は知らなかったことですが、123便が墜落したした際、NHKニュースが「長野県警によると、待機していた自衛隊員が何者かに銃撃されて、射殺されました」というテロップを出したといいます。

しかし、後になって、「自衛隊員が射殺されたというのは誤報でした」というテロップが流れたのだそう。

この誤報テロップは、3回ほどニュースの中で流れ、アナウンサーが謝罪していたということなのですが、はたしてそんなことが本当にあったのだろうか。

ネット上では「そのようなテロップは流れていない」という声や、「待機命令を無視して救助に向かった自衛隊員が、1名射殺された」とニュースが流れていたという声もあります。

どちらが本当にせよ、個人的には「自衛隊員が射殺された」というニュースが流れたのは、誰かの作り話で、デマだった可能性の方が高いと思います。

日航機墜落事故の生存者は4人で7人は誤報

日航機墜落事故は、520名の犠牲者を出しましたが、4人の生存者が発見されました。

奇跡的に助かったのは、日航客室乗務員で、当日客として乗り合わせていた落合由美さん、吉崎博子さんと美紀子さんの親子、当時12歳だった川上慶子さんの女性4人で、全員が機体後部の座席にいた乗客だったのです。

ただ、墜落事故直後の日本経済新聞には、「生存者7人発見」、朝日新聞には、「生存者は8人」との見出しが飛び交ったのでした。

しかし、これらの情報は結局、誤報だったことが判明するわけですが、なぜ新聞各社は当初、生存者を7人や8人と報道したのでしょうか。

その原因は、人数確認のミスでした。

最初は「生存者3名」と報道され、続いて「男の子とみられる1名を発見」で4名。

そのあとに少女1名が生存と判明し、女性が計4名に。

続いて「女性3名発見」で7名となり、「男の子の見られる1名」が追加されて8名になったのです。

このように、現場は当初、混乱して生存者の「ダブルカウント」が発生。

その後になって、ようやく生存者は女性4名と確定する報道に切り替わったのです。

そこで生存者4人の現在を調べてみると、親子で助かった吉崎博子さんは現在68歳、美紀子さんは42歳になっていて、今もいっしょに東京都内にある母方の実家で元気に暮らしているといいます。

落合由美さんは現在59歳になっていて、大阪府内で暮らしているとか。

それに落合由美さんは、事故から長くして取材には答えていないようです。

ただ、何年にもわたる日航側の講演要請に対し、安全教育セミナーを開いて、事故前後にあった自身の近況などを語ったということです。

そして、北海道旅行の帰りに家族で123便に搭乗していた、川上慶子さんは現在46歳になっています。

自衛隊に救助される川上慶子

家族の中で唯一助かった川上慶子さんは、事故後、島根県で祖母と123便に搭乗していなかった兄の3人で生活していました。

しかし、墜落事故のニュースで有名になったため、嫌がらせの電話がかかってきたり、ストーカーまがいの行為に長く悩まされたといいます。

その後の川上慶子さんは、保健士だった母親の遺志を継いで、兵庫県の病院で看護士となって働き始めたとか。

そんな慶子さんは、やがて趣味のスキューバダイビングがこうじて、アメリカで現地の男性と知りあい、2002年秋に結婚。

現在は、看護師を辞めて、会社員の夫と2人の息子、娘といっしょに、西日本の都市でひっそりと暮らしているそうです。

日航機墜落事故で亡くなった著名人と搭乗する予定だった芸能人

日航機墜落事故では、著名人も犠牲者となりました。

『上を向いて歩こう』で知られる歌手の坂本九さんが、日航機墜落事故の犠牲者ということは有名です。

ほかにも、宝塚歌劇団の北原遥子さん、阪神タイガース球団社長の中埜肇さん、ハウス食品代表取締役社長の浦上郁夫さんら財界人も、123便に搭乗していて亡くなったのです。

一方、墜落したJAL123便に搭乗していたはずが、予定変更になって搭乗しなかったため、命が助かった芸能人もい、ました。

事故した123便に搭乗する予定だった話で、有名なのは明石家さんまです。

さんまは事故当日、「オレたちひょうきん族」の収録があって、その後に123便で大阪入りするはずだったとか。

ところが、収録が早く終わったため、1つ早い便に変更して難なく事故を免れたのだといいます。

さんまはこの経験を機に、東京―大阪間を移動するときは、新幹線を利用するようになり、自身の座右の銘「生きてるだけで丸儲け」を生み出しました。

自分の子供・いまるは、日航機墜落事故から生まれた座右の銘「生きてるだけで丸儲け」から名付けたそうです。

ほかにも稲川淳二が当日、体調が悪くなって123便の搭乗を回避。

大阪入りを次の日にして、飛行機から朝一番の新幹線に変更していたのです。

また、1993年にがんで亡くなった逸見政孝さんも、家族4人でJAL123便に搭乗する予定だったとか。

しかし、息子の逸見太郎が「4人なら新幹線の方が安い」と直前に言いだしたため、大阪へは新幹線を利用して事故を回避したということです。

日航機墜落事故の原因

1985年(昭和60年)8月12日、JAL123便が相模湾上空で垂直尾翼を失い、制御不能となって群馬県の御巣鷹山に墜落しました。

ところがこの「日航機墜落事故」は、原因に不可解なことが多いため、陰謀説もささやかれるのです。

中でも「自衛隊のミサイル誤射」、「米軍の撃墜」などの陰謀説がネット上に駆けめぐっているわけですが、いまだ墜落原因の真相究明には至ってません。

ただ、後の事故調査報告書では、123便の墜落原因として次の3つが考えられると公表されたのです。

1、圧力隔壁の損壊

飛行中に事故機の後部圧力隔壁が損壊、その損壊部分から客室内の空気が機体後部に漏れ出した。

これに伴い機体尾部と垂直尾翼が破壊された。

また、4つの油圧パイプがすべて破壊されたことで作動油が流出。機体は操縦機能を失った。

2、金属疲労と亀裂

圧力隔壁の損壊は、接続部の金属疲労により亀裂が生まれ、隔壁の強度が低下。

そのために、与圧に耐えられなくなったことで生じたと推定できる。

3、過去のしりもち事故

当該機は1978年に「しりもち事故」を起こしている。

その際、ボーイング社による修理が不適切だったこと。

また、点検で、これらの異常を発見できなかったことも事故原因の一つである。

しかし、この事故調査報告書は、1999年11月に廃棄処分されています。

さらに、機長の声が入っているボイスレコーダーの録音テープなどの資料も処分されたというのだから、「政府にとって都合が悪いことを隠ぺいしてる」と思われても仕方ありません。

とりあえず、日航機墜落事故の陰謀論は、この先も続くだろうし、真実についても一生語られることはないのかもしれないのです。

その中で100パーセント分かっているのは、4人の生存者がいたということだけです。