西鉄バスジャック事件 犯人のその後は?谷口誠一の生い立ちや動機とは?

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西鉄バスジャック事件は、2000年(平成12年)5月3日に発生した、当時17歳の少年によるバス乗っ取り事件。

犯人の名前は、谷口誠一といって、事件を起こす前に、インターネットの掲示板・2ちゃんねるに犯行予告を書き込んでいたのです。

また、この事件は、谷口誠一が2ちゃんねるで使用していたハンドルネーム「ネオむぎ茶」から取って、「ネオむぎ茶事件」とも呼ばれています。

犯人の谷口誠一に乗っ取られた「わかくす号」は、佐賀県佐賀市の佐賀駅バスセンターから、福岡県福岡市の西鉄天神バスセンターを目指す、西日本鉄道の高速バスでした。

刃物を持った谷口誠一は、「あなたたちが行くのは楽しい天神じゃありません。地獄です」と、乗客に言い放ち、バスを乗っ取ったのです。

そして、事件発生から15時間30分、15名の機動隊員の突入により、谷口誠一は逮捕されたのですが、乗客の中には死者1名の犠牲者が。

日本のバスジャック事件において、人質が死亡した初めての事件となったのでした。

そこで今回は、西鉄バスジャック事件の犯人・谷口誠一少年の生い立ちや、動機、その後どうなったのかについて迫ってみようと思います。

西鉄バスジャック事件の犯人 谷口誠一の生い立ちと親の職業

西鉄バスジャック事件の犯人は当時、年齢が17歳だったため、名前は公表されませんでした。

しかし、ネットの情報によると、名前は谷口誠一だと言われています。

犯人の生い立ちはというと、谷口少年は1983年に佐賀県に生まれ、どこにでもあるごく普通の一般家庭で育っています。

両親の職業は、父親が建設機械の会社に勤めるサラリーマンで、母親は役所で保健師をしていたようです。

谷口誠一は、幼少期から言動に落ち着きがなく、注意力が散漫な子だったそうですが、小学校の時から成績は良く、周囲からは優等生と見られていたといいます。

一方で、協調性に乏しく、学校では友人に馴染めなかった生い立ちのせいで、いじめの対象に。

谷口誠一は、中学校へ入学すると、2年生まで学年で2番の成績を誇っていたらしいのですが、高校受験が近くなるにつれ下降していったといいます。

当時の谷口誠一は、同級生からのいじめも激しくなる一方、段々と他者への攻撃的な態度を取ることも多くなってきたとか。

母親を「貴様」と呼び、命令口調で家族に暴言を吐くようになったといいます。

家庭では、「この家の跡取りは僕なんだ」と言って、両親に罵詈雑言を吐き、物を投げつけるなどの暴力を振るったそうです。

そして、高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトたちの挑発を受けて、踊り場から飛び降りるも着地に失敗して重傷を負い入院。

病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したものの、入学後、校風が合わないという理由ですぐに中退したそうです。

その後の谷口誠一はというと、自宅で引きこもりを始めます。

外出は「お出かけ」と称して、土日に父親と行くドライブだけ。

それもどこかを観光するわけでもなく、道路を10時間以上も延々と走るだけのものだったそうです。

以降も、家庭内暴力はますます悪化していき、危険を感じた親は、警察や精神科病院に相談。

しかし、事件を起こさない限り対処できないと、双方から断られたそうです。

そこで最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演して著書を出している、精神科医の町沢静夫氏に連絡を取って相談したのです。

町沢氏は、親にも少年にも一切面会しなかったそうですが、親からの要請を受けて、2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話。

肥前療養所は、すぐに谷口誠一の医療保護入院を許可し、即日入院させたのでした。

西鉄バスジャック事件の犯人 谷口誠一の動機

西鉄バスジャック事件を起こすまでの谷口誠一の生い立ちは、教育熱心な母の存在、祖母から家を継ぐ人間としての自覚を叩きこまれたとか。

谷口誠一は、そのことでプレッシャーを感じ、いつしか性格までもが変わっていったのです。

そして、犯行の動機ですが、当時、ハマっていたインターネットの掲示板・2ちゃんねるで煽られたことが原因で、バスジャック事件を起こした。

また、親から精神医療センターへ収容された腹いせだったとも言われています。

実際に谷口誠一は、国立肥前療養所に入院が決定した際、親に対し「貴様ら、前から僕を精神科に入院させることを考えていたのか。この恨みは絶対に忘れないからな。覚えていろよ」と、罵倒。

しかし、谷口誠一は、親には暴力的な態度でも、病院内ではおとなしかったといいます。

そして、入院中、5月3日から1泊2日の外泊許可が出て、家に帰ることになったのです。

その後、谷口誠一は、掲示板に「ヒヒヒヒヒ」とだけ書いた「佐賀県佐賀市17歳 ネオむぎ茶」のスレを立て、事件を起こします。

そんな谷口誠一は、逮捕後、バスをハイジャックした動機を「目立ちたかった」、「事件を起こして親を苦しめたかった」と自供。

事件の動機について語ったのですが、真偽の程はいまだ謎に包まれています。

西鉄バスジャック事件 犯人のその後は?

西鉄バスジャック事件の犯人・谷口誠一は、なだれ込んできた機動隊員にわずか2分でねじ伏せられ、現行犯逮捕されました。

その後は、刑事責任能力の有無を確かめることになります。

そして、佐賀家裁は、事件当時の谷口誠一の責任能力は認めたものの、精神鑑定結果が、「解離性障害や行為障害の症状」を指摘したのを受け、解離した施設で日常的に精神科医の観察が必要と判断。

5年以上の医療少年院送致とする保護処分を下し、谷口誠一を京都医療少年院に収容したのです。

そして、2006年1月に京都医療少年院を仮退院。

3月まで保護観察処分となって、同年3月26日に保護期間を満了し、その後に本退院したのです。

少年院を退所した谷口誠一は、現在36歳くらいになっていますが、その後の消息は不明。

ハイジャックされた車両は、事件後、修理と車両番号を変えて、他の営業所で使用されていたそうですが、すでに廃車になっています。

また、バスの運転士のその後についてですが、1年以上休職し、PTSDと戦っていました。

しかし、2度とハンドルを握ることなく、関連会社の事務職として定年を迎えたそうです。

本来、谷口誠一の計画では、母校の中学校を襲い、校舎の1階から各教室で生徒に危害を加え、3階の教室に立て篭もって、マスコミの注目を浴びるさなか、飛び降りるつもりだったとされています。

西鉄バスジャック事件は、病院から外泊許可が下りた5月3日、学校が休みだったため、計画が変更されて、バスが乗っ取られたのでした。