小鴨由水の旦那が離婚後に病死!子供や現在の職業は?

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小鴨由水の画像
   

1992年1月に行われた大阪国際女子マラソンで優勝し、バルセロナ五輪代表に選出された小鴨由水(47)は、2014年1月に離婚した旦那を亡くしています。

死因は「大動脈解離」で、その後、小鴨由水は勤めていた「福岡市社会福祉事業団」を退社。

2人の子供を育てるために、成績次第で給料が上がる「フコク生命」の営業レディへ転職したのです。

現在は、「フコク生命」に勤めるかたわら、有森裕子が設立したライツスポーツネットワークのメンバーとして、スポーツイベントの講師も行っています。

今回は離婚した旦那を亡くすという経験をし、苦難のシングルマザーとなった、元バルセロナ五輪日本代表マラソンランナー・小鴨由水についてまとめてみました。

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小鴨由水と旦那の離婚理由と子供の名前

小鴨由水は、1998年に2歳上のパン職人・松永光司さんと結婚。

子供は2001年に長男・悦司くん、2005年に次男・壮司くんを出産しているので2人います。

しかし、旦那である松永光司さんと2012年5月に離婚。

離婚理由は、旦那の仕事が忙しく、生活のすれ違いが生じたからだそうです。

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(旦那の松永光司さんと次男・壮司くん)
小鴨由水の旦那と次男の画像

当時の小鴨由水は、次男の壮司くんを出産して一段落していることもあり、再びマラソンを始めた頃でした。

一方、旦那の光司さんも転職したりして、環境が変わっていった頃だったそうです。

ただ、お互い忙しくても、子供の面倒を見なくてはなりません。

そこで小鴨由水が取った行動というのが、兵庫県明石市に住む父親に来てもらい、同居することだったのです。

この考えがズバリで、父親は熱心に子供の面倒を見てくれたといいます。

しかし、父親と一緒に生活するうちに、夫婦間に亀裂が入り、光司さんは家族だんらんを避け、部屋にこもるようになってしまったのでした。

そして、このままではいけないと思い、父親に実家に帰ってもらうわけですが、その後も、夫婦の関係は冷え込んだまま。

会話するのも、わざわざ子供を通じてでないと話せない状態で、ちょっとしたことで言い争いになります。

ついに小鴨由水から「もう結婚している意味がない。離婚しよう」と告げると、旦那は「分かった」と離婚を承諾したのでした。

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旦那の松永光司さんが離婚後に病死

離婚を話し合った結果、小鴨由水は子供2人を引き取り、「松永」の姓のまま光司さんがローンを払うマンションに住み続けることになります。

一方、光司さんはその後、1人で近くに住んで生活するわけですが、2014年1月、突然「大動脈解離」を患います。

光司さんを襲った「大動脈解離」という病気は、大動脈の壁に亀裂が入り、血管が裂ける死亡率の高い病。

きっかけは仕事中に突如倒れて、久留米大病院に緊急搬送されたのだそうです。

そして、24時間の大手術が施されるも、光司さんは医療機器につながれ、目は開いたまま。

小6になった長男の悦司くん、小2の次男・壮司くんが病院に駆けつけるのですが、入院3日目に帰らぬ人となってしまったのです。享年43。

小鴨由水 現在の職業はフコク生命の営業レディ

離婚後、小鴨由水は「福岡市社会福祉事業団」に勤務します。

とはゆえ、子供の父親として頼っていた光司さんを亡くし、完全なシングルマザーになると、勤務していた「福岡市社会福祉事業団」を退社。

次に選んだのは、成績次第で給料が上がる「フコク生命」の営業レディの仕事だったのです。

ここでの小鴨由水は、マラソン時代につちかったスポーツマン精神で営業。

しかも、根性と努力の甲斐があり、今では営業成績が全国でトップクラスになるなど、優秀な成績を上げるまでになったといいます。

選手時代はバッシングによる引退や、病気で旦那を亡くすなど、これまで壮絶な人生を歩んできた小鴨由水ですが、現在は2人の子供を育てるために日々がんばっているのです。

小鴨由水の独身時代

ダイハツ時代の小鴨由水は、まだ無名ランナーでした。

それでも若干20歳だった1992年1月、大阪国際女子マラソンに出場。

当時はチームメイトである浅利純子選手のペースメーカー役という意味合いもあっての出場でしたが、みごと初マラソンにして初優勝を成し遂げたのです。

この記録は、大阪国際女子マラソンの日本人初となる優勝で、ゴールタイムの2時間26分26秒は、当時の日本最高を記録。

しかも、女子の初マラソン世界最高記録という快挙でもありました。

当然、文句のない成績のため、小鴨由水はバルセロナ五輪代表に選出されます。

しかし、その裏では小鴨由水の選出により、松野明美選手と有森裕子選手の代表争いが勃発。

結局、バルセロナ五輪には有森裕子選手が選出され、みごと銀メダルに輝いたのですが、当の小鴨由水はというと、万全の体調で無かったため29位と、振るわない成績に終わったのでした。

期待されていただけに29位という惨敗に、日本中からバッシングを浴びせられることとなった小鴨由水は、わずか半年で所属するダイハツを退社。

その後は、福岡市の岩田屋陸上部に入部し、全日本実業団駅伝などに活躍の場を移すのでした。

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