2017年12月8日に死去したサッチーこと野村沙知代さんと、夫で元プロ野球監督の野村克也氏(84)は、1978年に入籍していますが、W不倫の末での結婚だったそうです。
当時の沙知代さんは、アメリカ軍人の夫と、ダン&ケニーという2人の息子がいました。
一方の野村克也氏は、南海(現・ソフトバンク)グループの令嬢だった妻と陽一という名の息子がいたのです。
しかも、当時の野村克也氏は、南海球団の監督だったのですが、このスキャンダルを理由に監督を解任。
その後は再び、他球団の監督として活躍するとともに、沙知代さんもマスコミに多く登場するなどして、大きな注目を集めたのです。
また、生前の沙知代さんといえば、度重なるトラブルで世間の注目を集めていましたが、亡くなる前は、あまり表舞台に出ることはなくなり、体調が心配されていました。
そんな中で、夫の野村克也氏も「解離性大動脈瘤」を患うなどして体調が悪化。
その後に妻の沙知代さんが亡くなったことで、世間から心配する声も寄せられていました。
そんな野村克也氏には、4人の息子がいます。
なので今後のことは、息子の誰かしらが面倒をみることができるので、ひとまず一安心といったところではないでしょうか。
そこで今回は、野村沙知代さんと野村克也氏の子供についてまとめてみました。
ダン野村の父親は野村克也で母親はサッチー?
野村克也氏には、息子が4人います。
1人目は元妻・正子さんとの間に授かった、陽一さんという名前の息子。
2人目と3人目は、野村沙知代さんがアメリカ人の元夫との間に授かった、ダン野村氏(62)とケニー野村氏(60)。
そして4人目は、沙知代さんとの間に授かった元プロ野球選手の野村克則氏(46)です。
結局、野村克也氏からすると、ダン野村氏とケニー野村氏は、血のつながりのない息子で、実子ではありません。
といっても、野村克也氏との仲は悪くないようです。
野村克也氏と血縁関係にある息子はというと、元妻・正子さんとの間に授かった、陽一さんとサッチーとの間に授かった、克則氏です。
なお、ダン野村氏とケニー野村氏が血縁関係にあるのは、母親のサッチーと、アメリカ人の父親ということになります。
ダン野村氏とケニー野村氏の父親であるアメリカ人の名前はエンゲル氏といい、沙知代さんに裏切られたことで自死しているとか。
沙知代さんといえば、元夫であるアメリカ人・エンゲル氏との間に授かった、ダン野村氏とケニー野村氏との確執。
絶縁なども注目され、実の弟・伊藤信義氏にも色々と暴露されていました。
さらに、弟・伊藤信義氏の暴露本によると、サッチーは、ダン野村氏とケニー野村氏の幼少期に、こう言って両親に子供を預けっぱなしだったそうです。
「お母さん、仕事が忙しくて、子供を育てている時間がないんだよ。育ててくれない?」。
ところが、実際は2人をほったからしにして、遊んでいたのだとか。
脱税の件も、ケニー野村氏に口止めしていたことを暴露されるなどし、母親と息子の絶縁が話題になったのです。
ちなみに、ダン野村氏の日本名は野村克晃、ケニー野村氏は野村克彦で、2人とも元プロ野球選手。
2人とも野球選手としては、実績を残せていませんが、兄のダン野村氏は、野茂英雄のMLB挑戦の際に代理人として一躍有名に。
以来、ダルビッシュ有や、前田健太といった日本人選手の契約交渉代理人として活躍しています。
ダン野村の母親 サッチーの死因
ダン野村氏とケニー野村氏の母親・野村沙知代さんは、2017年12月8日午後2時過ぎ、東京・世田谷区玉川田園調布の自宅で意識不明になり、都内の病院に搬送されたがそのまま息を引き取ったそうです。
「ノムさん」の愛称で知られる夫の野村克也氏は、病院に搬送される経緯について、「昼にしんどそうだったから『大丈夫か』と問いかけたけど、応答しなかったから救急車を呼んだ。」と会見で語っていました。
結局、サッチーの死因は、虚血性心疾患だったのですが、当初はなかなか死因が公表されませんでした。
突然死だったので、死因を特定するのに時間がかかっていたようですが、そもそも突然死は原因不明なことも多いようです。
一方、原因が分かる突然死で多いのは、心臓疾患による突然死。
その中でいうと、心不全や不整脈、心筋梗塞などが死因にあげられています。
また、心臓疾患以外の突然死で多いのは、循環器系による突然死。
この場合、大動脈瘤破裂が死因となることが多いのですが、ドキンちゃんの声優・鶴ひろみさんが車を運転中に亡くなったのも、大動脈瘤破裂が死因でした。
ノムさんの話によると、サッチーはここ40年間、病気を一度もしたことがなかったとか。
ただ、当時のサッチーは85歳という高齢者。
高齢者の突然死の原因の多くは、心臓などの循環器系の病気が多いようですが、やはり原因不明な場合も多々あるということです。
ダン野村の義理父 野村克也のスキャンダル
サッチーのスキャンダルといえば、経歴詐称や女優・浅香光代との「ミッチー・サッチー騒動」などで世間を騒がせていました。
一方、ダン野村氏とケニー野村氏の義理父・野村克也氏のスキャンダルといえば、女性関係。
その相手が後に結婚するサッチーなのです。
そもそも2人の馴れ初めは、1970年、サッチーがアメリカから帰国後に都内の中華料理店で、当時南海の選手兼任監督だったノムさんと相席したことで知り合ったのだとか。
知り合った当時はお互い既婚者で、サッチーは銀座・高級クラブのホステス。
そして、サッチーが勤務する店にノムさんが入り浸るようになり、やがて2人は交際に発展。
その後、息子・克則氏(ヤクルトスワローズのバッテリーコーチ)を授かったため1978年、デキ婚したのです。
また、1977年の秋、ノムさんはサッチーとのスキャンダルが原因で、南海監督を解任されたのでした。
このときノムさんは、南海グループの令嬢である正子さんと結婚していましたが、生活はすでに破綻し、離婚訴訟中。
一説によると、サッチーが正子さんに離婚するよう迫ったといいます。
しかも、正子さんと息子の陽一さんにひどいことを言って、家から追い出し、ようやく離婚成立。
このときノムさんも、正子さんと陽一さんを前に土下座し、「離婚してくれ」と頼んだそうです。
その後、正子さんは亡くなったらしいのですが、サッチーはノムさんを葬儀に出席させなかったといいます。
正子さんとの間に授かった息子の陽一さんにも、援助させなかったとか。
一方、サッチーは、元夫との間に授かった息子・ダン野村氏とケニー野村氏をノムさんの子供として育てたのです。