勝新太郎の息子が真剣事故で殺人!薬の逮捕歴もあり?

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俳優の勝新太郎さんは、1997年6月21日、喉頭がんのため亡くなりました。(享年65)

勝新太郎さんの本名は奥村利夫で、父親は「長唄のプリンス」と呼ばれた杵屋勝東治(きねやかつとうじ)氏。

妻は女優の中村玉緒(79)です。

そんな中村玉緒の父親は、歌舞伎俳優二代目中村鴈治郎(なかむらがんじろう)氏。

勝新太郎さんと中村玉緒は1962年にできちゃった婚して、長女と息子の2人の子供を授かっています。

ちなみに、長女の奥村真粧美(おくむらまさみ・56)も元女優、息子の鴈龍(がんりゅう・52)も俳優と、芸能一家です。

そこで今回は、勝新太郎氏さんと中村玉緒の息子・鴈龍が真剣事故で殺人犯になりかけたことや、薬で逮捕されたことなどを中心に触れて行こうと思います。

勝新太郎の息子が真剣事故で殺人

中村玉緒の夫だった勝新太郎さんは、若き時代からの大スターでしたが、1997年6月21日、喉頭がんのため亡くなってしまいました。

ただ、亡くなった後でも勝新太郎さんには、熱狂的ファンは多く、原理主義的傾向を持つ信奉者が多いことでも知られています。

勝新太郎 中村玉緒 画像

また、生前は波乱万丈の人生を歩みましたが、やはりその中でも息子・鴈龍が真剣で起こした「真剣事故」と、自身がハワイのホノルル空港で、下着の中にマリファナを隠し持っていた「パンツ事件」は衝撃的で、いまだ忘れられることはありません。

そんな勝新太郎氏さんは、1967年に「勝プロダクション」を設立。

俳優を続けながら自ら映画製作に乗り出しました。

1974年から1979年にかけては、「座頭市」をテレビドラマとして、合計4シーズン、全100話を製作。

映画「座頭市シリーズ」 は全部で26作品と、長きにわたって愛され続けたのです。

ところが、1989年、勝新太郎さんにとって、最後の製作映画となった「座頭市」で事故が起きてしまったのでした。

勝新太郎さんは、自ら製作・監督・脚本・主演により『座頭市』を完成させたのですが、当時、俳優デビューしたてだった息子(鴈龍)が殺陣の立ち回りの場面において、死体役の役者を真剣(日本刀)で刺して死亡させてしまったのです。

息子は撮影現場関係者らと共に広島県警から業務上過失致死罪の疑いで事情聴取を受けましたが、使用した日本刀が撮影用の模擬刀等ではなく真剣であったことが判明。

その真剣で息子は役者の首を斬りつけていたのでした。

そしてこの事件は裁判にもなり、法廷では、迫力を出すためにスタッフが勝手に真剣を用意したこと、息子は真剣である事を知らなかったと主張。

判決結果は、その主張が採用され事故扱いとなったのです。

事故が起こったとき、勝新太郎さんは「息子を殺人犯にしてしまった」と悔やみ、一晩中泣きあかしたとか。

ですが、これも勝新太郎さんの映画作りが完全なワンマン体制だったために起こった事故。

勝新太郎さんのイメージがすべてに先行し、脚本は全く無視され、撮影ではアドリブでその場で演出が変わるのが恒例だったそうです。

そして事故後、お蔵入りが懸念された『座頭市』は公開されたものの、「重大事故の発生にも関わらず撮影を続行する製作姿勢」などが問題視され、勝新太郎さんは非難を浴びることとなったのでした。

勝新太郎の息子は薬の逮捕歴もあり

勝新太郎さんの息子・鴈龍は、真剣事故によって、危うく殺人犯になるところでしたが、父親と同じく逮捕された過去を持ちます。

鴈龍は芸能界デビュー前の1982年に、元女優で姉の奥村真粧美とともに密売で逮捕されているのです。

その2年後にも、大麻取締法違反の容疑で再び逮捕。

父親の勝新太郎さんも、1978年にアヘンで書類送検されているのです。

さらに、1990年1月には、アメリカ合衆国ハワイ州のホノルル空港で、下着に麻薬を入れていたとして現行犯逮捕されています。

しかも逮捕後は、1000ドルの罰金刑で即日釈放され、国外退去処分を受けたにもかかわらず、不服を申し立てて、ハワイに滞在し続けたのでした。

では、なぜハワイに滞在し続けたのか。

その理由は、日本に帰ってくれば、麻薬を持ち出した容疑で取り調べられる。

それを避けるため、帰国しなかったと言われています。

さらに勝新太郎さんは、帰国する前にハワイで会見を開いているのですが、その会見では今では考えられない発言をして、集まった記者を失笑させたのです。

当時、記者会見で勝新太郎さんは、「その時まあ朦朧なんだけど、入れたんだねえ」とあっけらかんと、マリファナとコカインの所持を認め、今後、薬物事件を起こさないようにするために、パンツを履かないという謎の対策を披露。

結局、勝新太郎さんが日本に帰国したのは、逮捕されてから1年4ヵ月後でした。

また、当時、勝新太郎さんは、ハワイからの帰りの飛行機の中でビールを飲みながら、「大統領や海部首相の代わりは出来るけど、勝新太郎の代わりは誰が出来るんだ?」と同乗した報道陣に話していたといいます。