尾崎豊 死因の真実!犯人は創価学会?右目はなぜアザができていた?

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尾崎豊 死因 画像
   

1992年(平成4年)に亡くなった、歌手の尾崎豊さん(享年26)の命日は4月25日です。

亡くなった現在も多くのファンを持つ尾崎豊さんは、1992年4月25日の早朝、足立区千住河原町の民家の庭に、傷だらけで倒れていたところを住人の小峰さんが発見。

通報で病院に運び込まれ、一時は自宅マンションに戻るのですが、午後になって呼吸が止まっているを妻の繁美さんが気づきます。

その後、救急車で日本医科大学付属病院に搬送されるのですが、その日のうちに死亡が確認されたのでした。

26歳という若さで急逝した尾崎豊さんの死因は、「肺水腫」。

当初、肺水腫の原因は極度の飲酒によるものと発表されたのですが、後に覚醒剤の多量摂取による「急性メタンフェタミン中毒」が引き起こしたものと結論付けられたのです。

しかし、尾崎豊さんの没後も死因については、真実をめぐってさまざまな憶測を呼んでいます。

と言うのも、フライデーが掲載した尾崎豊さんの写真には、暴行を受けたような傷や、右目のアザが写し出されていたのです。

その記事により、死因に他殺説が浮上。

犯人については、生前の尾崎豊さんが関わっていた「創価学会」を疑う声もあがっているようです。

ただ警察は、当時の状況や司法解剖の結果から「事件性なし」と判断して捜査を終了。

やはり、遺書も見つかっていることを考えると、尾崎豊さんの死因は自殺だったのでしょうか。

今回は、尾崎豊さんの死因の真実について検証してみたいと思います。

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尾崎豊 死因の真実

尾崎豊さんの没後に、遺書2通の全文が公開されました。

1通は尾崎豊さんが亡くなる直前まで肌身離さず持っていたセカンドバッグから。

もう1通は本人の血でつづったとみられる遺書で、尾崎豊さんの母親の遺影の側で見つかったそうです。

ただ、見つかった遺書は、ほんとうに尾崎豊さんが自ら命を絶とうとして書いたものかどうかすらわかっていません。

生前、尾崎豊さんは気分が落ち込んでいるときなど、急に遺書のようなものを書くことがあったとか。

父親の健一さんいわく、「そのときに書いた可能性もある」と話しています。

そして、死因の真実として憶測を呼んでいる「他殺説」ですが、これは亡くなった2年後の1994年に、「死体検案書」が一部のマスコミに流出したことから、報じられるようになったのです。

死体検案書には、致死量の2.64倍以上の覚醒剤が体内で発見されたことや、「外傷性くも膜下出血」と記載。

そういったことなどから、誰かに大量の覚せい剤を投与されて殺されたとマスコミが報じ出したのです。

また、ある雑誌の記事には、尾崎豊さんの妻・繁美さんが「遺産目当てに暴力団に殺害を依頼した」と掲載したこともありました。

要するにマスコミは、尾崎豊さんの死因を他殺としたのですが、妻の繁美さんは名誉毀損で東京地裁に裁判を起こします。

そして、2000年2月、東京地裁は遺族への名誉毀損を認め、マスコミに500万円の支払いなどを命じる判決を下し、2002年の上告棄却で遺族の勝訴が確定したのでした。

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尾崎豊の死因 犯人は創価学会?

尾崎豊さんは高校時代からディスコに入りびたり、18歳の時に妻の繁美さんと出会います。

出会ったのは当時、六本木にあったディスコで、尾崎豊さんの一目ぼれだったとか。

その後、交際が始まるも、22歳だった1987年12月に覚醒剤で逮捕。

東京拘置所に勾留された尾崎豊さんは、交際中の繁美さんに手紙でプロポーズをします。

そして、東京拘置所から釈放された後の5月12日、2人は結婚。

翌年の1989年7月24日、尾崎豊さんが23歳の時に息子の裕哉が誕生したのです。

尾崎豊 妻 繁美 画像

それから3年後に、謎の亡くなり方をするわけですが、生前の尾崎豊さんと妻の繁美さんは創価学会員でした。

また、父親の健一さん、兄の康さんも創価学会員だったのですが、1991年11月、 創価学会が日蓮正宗から破門されると同時に、父親の健一さん、兄の康さんは創価学会を脱会します。

一方、尾崎豊さんも父親や兄にならって創価学会を脱会するのですが、妻の繁美さんだけは創価学会に残ることに。

信者に裏切られた創価学会は、その後、脱会者に対して有り得ない嫌がらせを実行したのです。

それから半年後の1992年4月25日、尾崎豊さんが死亡。

遺体には暴行を受けたようなアザもあり、亡くなり方がきわめて不自然であることから、創価学会を犯人とする声が出てきているのです。

尾崎豊の右目はなぜアザができていた?

当時、尾崎豊さんが倒れていた民家は、没後「尾崎ハウス」と名付けられ、ファンが集る有名な場所となりました。

しかし、その尾崎ハウスも現在は取り壊され、建て直されています。

また、住人の小峰さんによると、発見時、尾崎豊さんは素っ裸で倒れていて、右目は卵半分くらい膨らんで腫れ上がっていたと証言しています。

今なお多くの謎を残している尾崎豊さんの死因ですが、真実はいったいどこにあるのでしょうか。

死因は、「肺水腫」なはずなのに、なぜ体中がアザだらけだったのか、右目がなぜ黒ずんでいたのか?

真相は謎ではありますが、実は真実を知る人物が「俺が尾崎豊をリンチして殺した!」と語り、雑誌に犯人のインタビューが掲載されているのです。

以下が取材に答える暴力団員の話です。

1992年4月25日 あの日尾崎にいったい何が起こったのか?

その男との待ち合わせは相手側の指定した某シティーホテルだった。

ひっそりとしたホテルの廊下で男の部屋のドアをノックすると、痩せぎすで青白い顔をした男が窓際のソファーに座り外を眺めていた。

「まあ、座ってください」

それだけ言って柔和な顔になった男に促され、私は汗を拭いながら正面に座った。

男の名前は後藤ひろし(仮名/48歳)。

詳しい素性は本人の意向で話せないが、後藤は当時都内の某暴力団組織に属しており、特に興行目的のトラブル処理に当たっていたという。

身長180センチを超える大男だ。

私が自己紹介をしようとするとそれを遮るかの如くいきなり向直り、

「これからあの日(尾崎豊が死亡した日)の真実をあんたに話す。だけどいいか、同じ質問に二度は答えない、それと今から話す事はあくまでも俺の”単なる戯言”だと思って聞いてくれ、それから録音も写真も一切ダメだ、絶対に嘘は書かないで欲しい」

これが彼が提示した彼の告白<原文は告発>においての条件だった。

その時の男の蛇の様な目を見て私は身動きが取れなくなってしまった。

そして同時にこの男の目からは真実に対する切なる意思が感じられた。

男と話しにいく前にまずはまとめておかなければいけない彼の死に関する疑問がある。

1).検案書では同時にメタンフェタミン中毒と記されている事。

2).尾崎の公式に発表されている死因は肺水腫だが、先に述べた週刊誌記事には明らかに誰かに殴られた痕が残っており、死体検案書には「外傷性くも膜下出血」と記されている事。

3).さらに尾崎がなぜ尾崎ハウスと呼ばれるあの場所で、しかも全裸だったのかという疑問点。

これらに対して男は口を開く。

「あの日俺は、いや俺らは尾崎をあの民家の近くのある場所に呼び出した。はっきりした関係は明かせないが、尾崎と俺はそれ以前から面識があったから尾崎にしてみても俺らと会うこと自体は普通の事だったから当然『分かった。すぐ行く』ってなったわけだ。だからあの日あいつ(尾崎)はあそこにいた」

医師や警察の公式発表によれば、尾崎の体からは多量のアルコールと死因「肺水腫」の原因ともなった致死量の2倍にも達する覚醒剤が体内から発見されている。

つまり尾崎の体の中は酒と覚せい剤だらけだったことになる。

この男に呼び出された時点での尾崎はすでにこの状態だったのだろうか…。

「あの日俺らは尾崎を呼び出したって言ったけど、『お前を殺すから来い』って言っても来るバカはいないよな。だから俺らは『酒を呑む』を前提としてあいつを呼び出したんだよ」

記者「では、体内から発見された覚せい剤は…?」

「あの日、尾崎は完全なシラフだったよ、俺らと会う前はね。その話をする前にあんた覚せい剤やったことある?」

記者「もちろん、無いですけど…」

「普通、酒とシャブの両方一緒にやるとどっちかの量が減るもんなんだよ、二つ同時に死ぬまでやるなんてことは物理的に絶対に無理な話。公式の発表にも有るけど酒もシャブも両方半端な量じゃなかった訳だけど、その場合普通なら心臓麻痺で死ぬよ。シャブは必ずしも自分の意思で入るとは限らねぇだろ…例えばアンタが一緒に食事している人間を毒を盛って殺すとしたらどうする? 飲み物の中に大量の毒を入れるでしょ。ずいぶん回りくどくなったけど、これだけ言えばわかるよね」

直接的なことは煙に巻いて喋っていたが、これまでの男の話をまとめると、あの日尾崎は「自分が尾崎を殺した」と語る後藤という男とその仲間に東京・足立区の「尾崎ハウス」近くの酒場に呼び出された。

ここからは男が断言しないため推測も含めるが、そこで酒に大量の覚せい剤を混入され、それを尾崎が飲んだ、ということになる。

そしてこの後、男の口からは”尾崎暴行”に関しての衝撃告白が飛び出した。

◆リンチの後、「帰りたい…帰りたい」と尾崎は虫の息になりながら呟いていた

これまでの後藤の話を仮に真実だとして、冒頭で触れた「リンチ」に関しての真相に触れてみる。

この騒動の最大のミステリーは尾崎の死因が肺水腫であるにも関わらず、全身に暴行痕があり、事実、それにより外傷性くも膜下出血を引き起こしていたこと。

尾崎死亡騒動当初は、「酔っ払った尾崎が近所のチーマーに絡んで返り討ちになった」などという説も都市伝説的に出たが、真相は今の今まで謎である。

「俺らがリンチして殺した!」と語る後藤という男ならその謎を知っているのだろうか…。

「アンタあのフライデーの写真見たって言ったよな? ありゃどう見ても殴られたとしか思えねぇよな、その上で、これまでの俺の話を聞いてどう思う?」

記者「それはどういう事ですか?」

「あの日、酒場の後ふらふらになった尾崎と一緒に店を後にした。その時尾崎は本当に意識が無いくらい錯乱状態だった。それこそ酒かシャブの影響なのか体をふるわせて踊り狂っていたのさ。そんな尾崎を人目につかない場所に誘導し、その後サンドバックのようにボッコボコに殴り倒したのさ。ふらふらで立ち上がれない尾崎を無理矢理起こして何度も、何度もこの拳で殴ったよ」

記者「なぜそこまでして暴行する必要があったんですか。それになんであの民家で…?」

「その真相に関しては事情があって語れない。だけど俺らがあいつを呼び出した目的は始めから”殺る”事。それだけだった…。けどあの民家(現在尾崎ハウスと呼ばれる家)でリンチはしてない。俺らが殴り倒した後、尾崎は虫の息になりながら『帰りたい…帰りたい』って何度も呟いていたのを今でも覚えている。そんな状態であいつは夜通し彷徨ってあの家の軒先で全裸で倒れ込んだんだろう。俺は今まで何人もの人間を痛い目に遭<原文:合>わせてきたけど、そういう時誰もが決まって恐怖に震えるもんなんだよ、だけどあの時の尾崎から恐怖心はこれっぽっちも感じなかった…助けを請う言葉すら奴の口からは出てこなかったんだよ、ただ『帰りたい』それだけなんだ、小さな子供みたいにな」

真実かどうかは断言できないが、男が語った話の上では尾崎は暴行された直後、大量の酒と覚せい剤、そして殴られた痛みの熱を振り払うため自らの服を脱ぎ全裸になったのだろう。

しかし、なぜこの男は15年も経過した今になって、突然マスメディアに対し自らの大罪を告白する気になったのだろうか。

「俺は先月医者からガンを宣告された。もって半年…だからというわけではない。もちろん良心の呵責もある。だけど、あくまでも俺が話せる事は尾崎豊は間接的にしろ俺らの手によって死んだということだけ。それ以上の真相は俺が墓ん中まで持っていく覚悟でいる」

そう言うと男はそれ以上口を開かず、虚ろな表情で窓の外を見詰めたままだった。

私もそれ以上は何も言えず、お礼だけを述べてホテルの部屋を後にした。

自らも”単なる戯言”と前提する男の告白。

それが事実かどうか明らかになる事はおそらく無い。

ただ事実と仮定して今年の4月25日で15年になる『尾崎豊殺人事件』は時効を迎える。

だとしたら、良心の呵責として男が本誌記者に告白したのであればタイミングが良すぎる気がしてならない。

結局、男の口からは聞き出せなかった『それ以上の真相』とはいったい何だったのだろうか…。

その事だけが気にかかる取材だった。

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