長渕剛が薬で逮捕?哀川翔は?離婚した嫁は誰と再婚したの?

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長渕剛 哀川翔 とんぼ 画像
   

長渕剛といえば、清原和博の次に薬で逮捕されるとウワサされていましたが、実際のところどうなのでしょうか。

薬疑惑が出るのは、清原和博と兄弟のような関係を築いていたのと、1995年に一度、大麻で逮捕されているので、疑いの目が向けられているのだと思います。

また、長渕剛以外にも、芸能人で疑惑が持たれているのが哀川翔です。

哀川翔の薬物疑惑は、「激痩せ」や「ろれつが回っていない」ことがあったため、以前よりウワサされていました。

しかも、長渕剛と仲が良いことも関係しているようですね。

そもそも哀川翔と長渕剛の出会いは、共演したドラマ『とんぼ』がきっかけ。

哀川翔が役者になったのは長渕剛のおかげで、長渕がいなかったら芝居の道に入ってなかったといいます。

恩人である長渕剛に薬物疑惑がある限り、哀川自身の疑惑も消えることはなさそうです。

そこで今回は、薬疑惑が後を絶たない長渕剛と哀川翔の今現在、離婚した元嫁・石野真子の再婚相手などについてまとめてみました。

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長渕剛が薬で逮捕?

長渕剛は、1995年に大麻で逮捕されましたが、処分保留で釈放され、そのまま不起訴となりました。

そして、この事件がきっかけで、国生さゆりと不倫していたことも発覚。

また、このとき、長渕剛と国生さゆりは、覚せい剤の使用についても、事情聴取を受けていますが、お互いに否認し続けたといいます。

ところが、写真週刊誌「FOCUS」は当時、長渕剛が覚せい剤を大量に購入していたことや、国生さゆりとともに薬漬けだったという記事を掲載しているのです。

以来、長渕剛に薬物疑惑の目が向けられ、後の清原逮捕で、再び注目されることになったのです。

清原といえば、現役時代、打席テーマ曲を『とんぼ』にしていたくらい、長渕剛をアニキと呼び、慕っていました。

ただ、清原は薬物疑惑が持ち上がった際、長渕剛からはあっけなく裏切られたそうです。

清原が裏切られることになったきっかけは、薬物疑惑が持ち上がったことを電話で相談すると、長渕剛から「もう、俺とかかわらないでくれ」「電話もかけないでくれ」と言われたから。

それ以来、清原は、長渕剛と絶縁しているそうです。

では、長渕剛の薬疑惑の真相はどうなのか。

清原いわく、長渕剛のために、薬の調達役を担ったこともあったといい、2人が覚せい剤を使用するときは、日比谷の帝国ホテルのスイートルームを使っていたといいます。

さらに、携帯に証拠の写真も残っていて、清原の逮捕後、その携帯は警察に押収された可能性があるそうです。

となれば、長渕剛も捜査員の目に触れて、捜査の対象になっているはず。

ですが、今のところ逮捕されていないのは、いったいなぜなのか。

ウワサによると、長渕剛は警戒心が強く、警察が捜査しているのではないかと勘繰ると、クリニックに行って、生理食塩水を点滴したり、血液クレンジングを受けて、「シャブ抜き」をしていたとか。

要するに、いつ検査されても薬物反応が出なようにしていたということですが、真偽のほどは不明です。

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哀川翔の薬疑惑

哀川翔も、再三にわたり、薬物疑惑がささやかれています。

そんな哀川翔は、30代のときに心肺停止が2回あったらしいのですが、その原因は「疲労」によるものだったそうです。

ただ、哀川翔は本当に、「疲労」が原因で心肺停止に陥ったのか。

それに、心肺停止の原因は「疲労」ということなのですが、ほんとうにそこまで忙しかったのか疑問が残ります。

確かに、その頃の哀川翔はというと、「あいかわ翔」名義で監督デビューしたり、「Vシネ」なんかで活躍していた時期。

世間には「過労死」する人もいるくらいなので、「疲労」が原因で心肺停止に陥ったことも納得できるのですが、他の原因として、ウワサされている薬物に影響されたということも考えられます。

しかし、長渕剛といっしょで、ウワサばかりが先だって、一向に逮捕される気配がありません。

やはり、薬物疑惑は、単なるウワサにすぎないのかもしれませんね。

長渕剛が離婚した嫁は誰と再婚?

長渕剛は、1981年8月に石野真子と結婚しましたが、2年後の1983年に離婚。

離婚理由ですが、当時の週刊誌には、長渕剛の暴力や束縛、嫁姑問題などと書かれていましたが、ほんとうの原因なんて、当事者しかわかりません。

そして、1987年に志穂美悦子と再婚し、現在は3人の子供がいます。

一方、離婚した元嫁の石野真子は、1990年6月に俳優の広岡瞬と再婚。

石野真子 画像

広岡瞬 画像

石野真子と広岡瞬は、1985年に知り合い、5年の交際期間を経て結婚しました。

しかし、石野真子は広岡瞬と再婚したものの、1995年12月に離婚。

2回目の離婚理由は、広岡瞬の仕事が激減したのと、石野真子の家出が重なり、5年の結婚生活に終止符が打たれたのです。

そして、「離婚の責任は自分にある」と語った広岡瞬はその後、芸能界を引退し、ロンドンで日本料理店を経営することになったそうです。

哀川翔の嫁の元旦那は音楽プロデューサーの多賀英典

哀川翔の嫁は、ミス・ユニバース北海道代表で元女優の青地公美。

哀川翔 嫁 青地公美 画像

嫁の青地公美は、哀川翔とは3度目の結婚で、現在、哀川のマネージャーと所属事務所の社長を務めています。

2人の出会いは、1994年に元力士の武蔵丸の昇進パーティーに参加した際、哀川翔が一目ぼれ。

その後交際が始まり、2人は翌年の1995年に結婚したのです。

また、当時、青地公美には、元旦那、音楽プロデューサー多賀英典氏との間に授かった連れ子が3人いました。

青地公美の元旦那の多賀氏は、小椋佳や井上陽水を手がけた敏腕プロデューサー。

特に井上陽水に対する影響は大きく、楽曲「心もよう」の曲名は、多賀氏が命名したものです。

また、多賀氏と哀川翔は親交があり、結婚式にも招待するなどの仲なのだとか。

ただ、現在、多賀氏は、音楽のプロデュースに関しては、表立った活動をしていないようです。

そして、青地公美と結婚した哀川翔は、連れ子3人に加え、2人の子供をもうけていますが、実子と連れ子ともども、平等に可愛がっているということです。

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