大原麗子の結婚歴 旦那と子供は?晩年は自宅で病気療養中だった!

P.Cタイトル下
大原麗子 若い頃 画像
   

女優の大原麗子さん(享年62歳)が他界してから、今年で10年目を迎えます。

大原麗子さんは2009年8月6日、東京都世田谷区の自宅で亡くなっているのを弟さんと警官が発見。

連絡がとれないことを心配した大原麗子さんの弟さんが、3日に警察に相談し、6日午後7時ごろ警官とともに自宅を訪れると、大原さんは寝室のベッドで倒れていたということです。

そんな大原麗子さんの結婚歴は、2回あります。

1度目は、1973年に俳優・渡瀬恒彦さん(享年72)と結婚したものの、5年後の1978年に離婚。

2度目は1980年に、歌手の森進一(71)と再婚するも、84年に離婚したのでした。

また、晩年の大原麗子さんは、芸能活動を休止し、自宅に1人で過ごしていたと言われています。

旦那と子供がいない大原麗子さんは、孤独を感じながら晩年を過ごしていたとされ、悩まされていた難病の病気「ギランバレー症候群」とも闘っていたのです。

ただ、亡くなった時には「孤独死」と報じられたりもしましたが、本当の死因は「不整脈」。

不整脈による脳内出血が原因で、亡くなったということです。

Sponsored Link

大原麗子の結婚歴 旦那と子供は?

1964年にドラマ『幸福試験』でデビューした大原麗子さんは、その美貌と演技力で一躍人気女優となりました。

結婚歴は2回あり、1人目の旦那・渡瀬恒彦さんとは、映画『三匹の牝蜂』などで共演したのをきっかけに、1973年9月に入籍したのです。

渡瀬恒彦 画像

渡瀬恒彦さんといえば、俳優・渡哲也(77)の実弟で、喧嘩が強いことでも知られていましたが、2017年3月に他界。

渡瀬恒彦さんの死因は「多臓器不全」で、晩年は胆のうがんで闘病中でした。

その渡瀬恒彦さんと結婚した大原麗子さんは、結婚3年目の1975年に、難病の病気「ギランバレー症候群」を発症。

そして、発症から1年後、「ギランバレー症候群」という難病を乗り越え、見事復帰を果たしたのです。

その後、大原麗子さんは、渡瀬恒彦さんと離婚。

もともと2人は嫌いになって別れたわけではなく、渡瀬恒彦さんが京都に生活の場を移し、夫婦一緒に暮らそうと提案したことが離婚の原因だったとか。

当時の大原麗子さんは売れっ子で、仕事は主に東京のテレビ局や撮影所。

女優を辞めて京都に住む選択をしなかったのです。

また、大原麗子さんは渡瀬恒彦さんと結婚後に授かった子供を、亡くすという悲劇に見舞われています。

そのとき、妊娠が子宮外妊娠だったため、泣く泣く緊急手術を行ったそうですが、大原麗子さんも危機にさらされて、渡瀬恒彦さんから輸血を受けたそうです。

そして、大原麗子さんは、1980年に2人目の旦那となる歌手の森進一と再婚。

森進一といえば、2005年4月に離婚した、歌手・森昌子(60)との間に3人の子供授かっています。

森進一 画像

長男の森田貴寛はワンオクのtaka、二男はテレビ東京の社員、三男の森内寛樹は、ロックバンド「MY FIRSTSTORY」のボーカリスト・ヒロというのは有名な話。

ただ、大原麗子さんと結婚していたときは、1982年に一度子供を授かっていますが、大原麗子さんが何も言わずに中絶を決断したのでいません。

なお、森進一との離婚理由は、最初の結婚のときと同じように、女優をやめて家庭に入れようとしたことだったようです。

Sponsored Link

大原麗子の死因

結局、大原麗子さんは、2度の結婚生活で子供を授かることはありませんでした。

離婚後の大原麗子さんは、女優を続けていましたが、1999年ごろに難病の「ギランバレー症候群」を再発して、芸能活動を休止。

2003年ごろに一度は仕事復帰したのですが、2008年10月末に「ギランバレー症候群」が再発したのです。

この「ギランバレー症候群」というのは、歩行障害などを引き起こす病気で、原因が分からないことから難病指定されています。

その影響で大原麗子さんは、休養中の2008年11月に自宅で転倒。

その際、右手首骨折などの重傷を負って、リハビリ生活を送っていました。

そして、翌年の2009年8月6日に亡くなっているのが発見されるわけですが、当時、死因は不明ということでした。

当時の状況ですが、弟さんと警官が自宅を訪れた際、出入り口と窓はすべて施錠されており、事件に巻き込まれた可能性は低く、自ら命を絶った痕跡もなかったといいます。

また、当初は死因を「ギランバレー症候群」などと報じられましたが、この病気での致死率は5%ほどしかなく、調査の結果、不整脈による脳内出血が原因だったことが判明。

不整脈は心拍数が一定でない状態の事で、脳梗塞などにもつながる病気。

大原麗子さんの場合は、脳内出血をおこしてしまっていて、1人しか自宅にいなかったことが致命傷となったのです。

なお、発見時の大原麗子さんは、携帯電話まで3メートルと近づいたところでコト切れていたそうです。

大原麗子の晩年はギランバレーを患い自宅で療養中だった

大原麗子さんの生い立ちは、壮絶な人生でした。

女優になる前は、父親の虐待で絶縁にまで至っていたといいます。

さらに47歳のときには乳がんを患い、晩年は孤独な人生。

難病の「ギランバレー」まで抱えていたのです。

ところで、1人孤独に病気療養していた東京・世田谷区の自宅は、大原麗子さんが40歳のときに、土地とあわせておよそ3億円で購入した物件です。

自宅は、敷地が約150坪、延べ床面積260平方メートルの白亜の豪邸。

間取りに関しては、2階建ての4LDKでした。

1階には、40畳もある広いリビングとダイニング。

大きな中庭があって、2階には、キングサイズのウオーターベッドが置かれた寝室があったといいます。

そんな豪邸も大原麗子さんの七回忌法要の直前に買い手が見つかり、売却されたとか。

ただし、「買い手が見つかるまでの6年間は買い手が1人もいなかった」と弟さんは話しています。

ずっと空き家だったためメンテナンスだけでも大変で、家の窓を開けて風を通して、掃除機をかけ、拭き掃除をしたりするだけで1日がかり。

広い庭の草刈りもすべて1人でやらなければならず、泊まりがけでやる必要があるので水道や電気、ガスも止められない状態。

光熱費だけで毎月数万円、それに加えて、固定資産税が毎年89万円もかかっていたそうです。

生前、大原麗子さんは「この家をもし売るときはできればそのまま残してくれるとうれしいな」と、弟さんに遺言を残してしていたようですが、弟さんからすれば、想像以上に大きな負担がのしかかっていたのです。

Sponsored Link