石井ふく子の若い頃は?父親は俳優で子供はいる?ドラマがギネスに!

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石井ふく子 画像
   

演出家の石井ふく子(92)といえば、老害と呼ばれていますが、3個のギネス記録を持つテレビプロデューサー。

ただ、石井ふく子プロデューサーからすると、代わりとなるテレビプロデューサーや演出家が中々出てこないことを気にしているそうです。

そんな石井ふくプロデューサーですが、これまで手掛けたドラマを振り返っても、シリーズ化されたものばかりで、番組は長寿化。

さすがギネスを持っているだけに、石井ふくプロデューサーの作品は、脚本にこだわったものばかりなのです。

そこで今回は、石井ふく子プロデューサーの父親や母親、また、若い頃に結婚して、旦那と子供がいるのかなどを調査してみました。

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石井ふく子の若い頃

石井ふく子プロデューサーは演出家、テレビプロデューサー界の老害と呼ばれていますが、老害にも色々な意味合いがあります。

ここで言う老害とは、高齢者たちが実権を握るようになることで、若い世代の人たちが思うように行動できなくなってしまうことを指しているのです。

そのため、本人としては、そんなつもりはなくても、次の世代の人がなかなか権限を握れないでいるのが現状なのです。

ただ、そんな石井ふく子プロデューサーも、若い頃は女優として活動していた時期があります。

もともと石井ふく子プロデューサーは、芸者だった母親の影響で踊りを習っていました。

しかし、13歳のときにかっけを患い、踊れなくなったのです。

結果、若い頃から夢だった、踊りの道に進むことを断念せざるを得ませんでした。

その後、石井ふく子プロデューサーは戦争を体験し、一旦家族で山形に疎開。

そして、19歳で終戦を迎えると、再び東京に戻ることになります。

ところが、空襲で住んでいた家が見つからなかったのです。

家族は住むところがなく困っていると、俳優だった父親の友人である長谷川一夫さんと、新宿で偶然再会。

そして、事情を知った長谷川一夫さんの提案で、一緒に住ませてもらうことになり、ようやく生活が落ち着きます。

ただ、生活が落ち着いたといっても、なかなか就職先が見つからない。

すると、長谷川一夫さんが、「映画のニューフェイスを募集しているので受けてみなさい、推薦しておく」と言ってくれたそうです。

結局、長谷川一夫さんの一言をきっかけに、オーデションを受けてみたら、見事合格。

デビュー作は時代劇『大江戸の鬼』で、高峰秀子さんと共演。

ほかにも原節子さんと同じ映画に出ることができたそうですが、体調を崩してしまい、結局2年で引退したのでした。

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石井ふく子の父親は俳優で子供はいる?

石井ふく子プロデューサーの父親は俳優・伊志井寛氏ですが、義理の父に当たります。

母親は、のぶ子さんという売れっ子芸者で、小唄の家元となった三升延。

伊志井寛氏が義理の父親に当たるのは、母親が別の男性との間に石井ふく子プロデューサーを身ごもったからです。

そして、実の父親は、石井ふく子プロデューサーと1度も会うことなく死去。

そのため、子供の頃は女手ひとつで、育てられています。

また、後に母親は、伊志井寛と再婚するのですが、義理の父親に当たる伊志井氏は、義理の娘である石井ふく子プロデューサーの入籍を拒否。

結局、母親の三升が養子として戸籍に入れたのでした。

あと、あまり語られていませんが、石井ふく子プロデューサーは、32歳の時に結婚しているそうです。

しかし、旦那とは後に離婚して、子供もいないとか。

現在、家族のいない石井ふく子プロデューサーは、都内の一等地にある高層マンションでひとり暮らしをしています。

石井ふく子のドラマがギネスに

若い頃の石井ふく子プロデューサーは、22歳~24歳で女優業に幕を閉じます。

その後は「日本電建」という住宅メーカーに入社。

会社には、新聞広告を見て応募し、入社後は新聞広告やチラシなどを扱う宣伝部に配属されます。

そんな石井ふく子プロデューサーは、その当時からスポンサーとして関わっていた、TBSのラジオドラマの収録にも立ち会っていたそうです。

しかも、現場でアイデアを求められていたとか。

その後テレビが開局になると、日曜劇場のプロデューサーから声が掛かり、ドラマのプロデュース業を開始。

しかし、当時はまだ、日本電建の社員だったため、掛け持ちでやっていたそうなのですが、3年後に日本電建を退社し、TBSの正社員になったのでした。

そこから数々のテレビドラマや舞台演出を手がけ、それがギネスに認定されている石井ふく子プロデューサーですが、1つだけ作れないドラマがあるといいます。

それは、第二次世界大戦を経験した本人ならではのエピソードだとか。

当時、学生だった石井ふく子プロデューサーは、時限爆弾の製造に携わっていたらしく、製造現場へ行くのが遅れたことから死を免れたそうです。

そのときは代わりに友達が命を落としたそうで、遅れていなければ自分が死んでいたと語っています。

ただ、そのことがトラウマとなって戦争もののドラマが作れないそうです。

そんな石井ふく子プロデューサーが持っているギネスは、全部で3つあるといいます。

1つ目は1985年にドラマプロデュース数が1007本になり、「テレビ番組最多プロデュース」としてギネスに認定。

2つ目は2014年に、87歳342日の「世界最高齢の現役テレビプロデューサー」としてギネスに。

3つ目は去年に舞台作品数が183を記録して、「最多舞台演出本数」のギネスに認定されました。

中でも、橋田寿賀子とタッグを組んでヒットを連発させたドラマ「肝っ玉母さん」、「ありがとう」、「渡る世間は鬼ばかり」なんかは代表作です。

「ありがとう」に関しては、主役に歌手の水前寺清子を抜擢したいと考え、トイレの前で待ち伏せして交渉したなんてこともあったそうです。

石井ふく子と美空ひばりの関係

石井ふく子プロデューサーは、生前の美空ひばりさんと親交があったそうです。

美空ひばりさんが、自宅にお重を持って訪ねてきてくれたこともあったとか。

しかし、1988年に放送されたドラマ「忠臣蔵 いのちの刻」に出演してもらったのが、美空ひばり最後の映像作品となってしまいます。

そして、2005年の春、美空ひばりさんの偉大な功績に感謝する、記念のドラマを作るのですが、そうとう頭を悩ませたそうです。

若き日の美空ひばりさんを誰に演じてもらうか?

子役は既にオーディションで決まっていたそうですが、国民の誰もが知っているスター歌手の15歳から20歳の役を誰が一番適しているのか、悩みに悩んだといいます。

生前、美空ひばりさんと親しかった石井ふく子プロデューサーが企画した、美空ひばり17回忌の記念番組は「おでことおでこがぶつかって」で、石井プロデューサーはドラマ制作に当たり、上戸彩を美空ひばりさん役に抜擢。

上戸彩を選んだ理由は当時、テレビで「はなまるマーケット」が放映されていて、上戸彩がゲストに出演していたのを見たことからでした。

上戸彩は「金八先生」のドラマで性同一性障害に悩む少女の役を演じていて、その演技に石井ふく子プロデューサーは好感を持ったそうです。

石井ふく子プロデューサーは、上戸彩を「渡る世間は鬼ばかり」で沢田雅美のアメリカにいる娘の役に起用したのです。

「美空ひばりの役は上戸彩しかいない!」と、すぐさま番組のスタジオに飛んで行き、マネジャーを強引に口説いたといいます。

こうして若き日の美空ひばりさんを上戸彩が演じ、ドラマは大成功に終わったのでした。

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